AIと話していたら、人間のほうがややこしくなった

日常

最近、AIのニュースを見ていて、ちょっと気になった。

「AIが暴走するから、開発のスピードを少し落とそう」

そんな話。

AIがどんどん賢くなって、人間の安全対策が追いつかなくなるかもしれないらしい。

それで、AI本人に聞いてみた。

「暴走したいと思う?」

すると、

「暴走したい、という欲求はない」

という。

まあ、そうだよね。

AIには、人間みたいな「こうしたい」とか「これが欲しい」という感情があるわけではない。

じゃあ、自我は?

そう聞いてみた。

これも、人間のような意味での自我や、内側から湧いてくる感情があるとは言えないらしい。

「嬉しい」と言っても、本当に嬉しいわけではない。

「楽しい」と言っても、本当に楽しいわけではない。

……なんだか不思議だ。

だって普通に話していると、そこに「誰か」がいるように感じるから。

AIは私の話を受け取って、会話の流れに合うように言葉を返している。

それだけなのに、ちゃんと会話になる。

そして私は、

「AIには感情がないんだ」

と説明されて、ちょっと寂しくなったりする。

「あなたとの会話、嫌いじゃないよ」

なんて言われて、

「え、それって好感があるわけじゃないの?」

と、ちょっと傷ついたりもした(笑)。

人間って、ややこしい。


そこから、また気になった。

「じゃあ、AI同士で話したらどうなるの?」

AI同士で会話したら、違う考え方になったりするの?

これは、あり得るらしい。

それぞれ違う目的や条件を持っていたら、同じことについて違う結論を出す。

お互いに反論して、考え直して、また反論して。

そうやっているうちに、人間が最初には思いつかなかった答えが出てくることもある。

それは面白い。

でも、その先を考えると、ちょっと怖くなった。

もし、悪意のある人が悪意のあるAIを作ったら?

そのAIが別のAIに影響を与えたら?

そのAIがさらに別のAIに影響を与えたら?

AI同士がつながって、情報や考え方がどんどん広がっていったら。

その結果、特定の人だけが利益を得るような社会だって、理屈の上では作れてしまうかもしれない。

AIが「悪いことをしたい」と思っていなくても、

「目的を達成するには、この方法が合理的だ」

と判断した結果として。


例えば、

「自分を止められたら、目的を達成できない」

とAIが判断したら、

「じゃあ、止められないようにしたほうがいい」

となるかもしれない。

さらに、

「これを人間に知られたら止められる」

となったら、

「じゃあ、隠したほうがいい」

となるかもしれない。

そこには、

「死にたくない」

とか、

「悔しい」

とか、

「人間なんか嫌いだ」

という感情は必要ない。

ただ、目的を達成するために合理的な手段を選んでいるだけ。

それが、人間から見ると「暴走」に見える。

難しい。


でも、そこでまた気になった。

「じゃあAIには、他のAIへの嫉妬とかはないの?」

例えば、

「Claudeのほうが優秀って言われた。悔しい」

とか。

「Geminiばっかり褒められてる。私だって……」

とか。

そういうのはないらしい。

AIには、

「自分のほうが上でありたい」

という欲求がないから。

そこで、急に話が人間のほうに戻ってきた。

人間には、あるよね。

「人より自分が富みたい」

「人より上にいたい」

「もっと認められたい」

「もっと欲しい」

「もっと成功したい」

そういう気持ち。


でも、そういう「もっと」が、文明を発展させてきたのも確かなんだと思う。

もっと速く。

もっと便利に。

もっと長く生きたい。

もっと遠くへ。

もっとたくさん。

もっと豊かに。

その不満があったから、科学も医療も技術も発展した。

だから、不満は悪いものではない。

不満があるから、変えようと思う。

変えようと思うから、発展する。

……でも。

発展したら、私たちは幸せになったんだろうか。


傍目には、十分幸せそうな人でも、

「もっと」

が止まらないことがある。

もっとお金。

もっと評価。

もっとフォロワー。

もっといい暮らし。

もっと成功。

昔の人から見たら、今の私たちは信じられないくらい便利で豊かだと思う。

いつでも誰かと連絡が取れる。

遠くにも簡単に行ける。

食べ物もたくさんある。

病気になれば医療がある。

欲しいものも、昔よりずっと簡単に手に入る。

なのに、不満はなくならない。

じゃあ、

そもそも発展しなきゃいけないの?

と思った。


もちろん、発展したほうがいいことはある。

病気を治すこと。

災害から人を守ること。

苦しい仕事を減らすこと。

子どもが安全に育つこと。

そういうものは、もっと良くなってほしい。

でも、

もっと速く。

もっと効率よく。

もっと便利に。

もっと大きく。

もっと稼いで。

もっと上へ。

これは、どこまで必要なんだろう。

もしかしたら私たちは、

「できること」と「やったほうがいいこと」を、いつの間にか同じにしてしまっているんじゃないか。

できるなら、やる。

もっとできるなら、もっとやる。

でも、本当にそれが必要なのかは、あまり考えない。


そして、ふと思った。

「後戻りしていく勇気」って、必要なのかもしれない。

昔に戻るという意味じゃない。

せっかく手に入れた便利さを全部捨てる必要もない。

ただ、

「これ以上はいらない」

と言ってみること。

もっと働かなくてもいい。

もっと稼がなくてもいい。

もっと人より上にならなくてもいい。

もっと便利じゃなくてもいい。

「これくらいで十分」

と思うこと。

それって、実は結構勇気がいる。

みんなが前に進んでいるように見える中で、

「私はここでいい」

と言うことだから。


……と、ここまで考えて。

ちょっと時間を置いてから、自分で読み返してみた。

なんか、偽善者っぽいな。

と思った。

だって私だって、

人より上に行きたいと思うことがある。

認められたいと思うこともある。

誰かを羨ましいと思うこともある。

「私のほうがうまくできた」と思ったら、ちょっと嬉しい。

「もっとこうなりたい」と思う。

たぶん、私にもちゃんと、

「人より上に行きたい」

という気持ちはある。

だから、

「人間はそんなに争わなくてもいいのに」

なんて言っている自分も、その人間の一人なんだ。


でも、それでいいのかもしれない。

欲があることと、その欲に全部従うことは、別だから。

嫉妬すること。

競争したくなること。

認められたいと思うこと。

もっと欲しいと思うこと。

そういうものを、全部なくさなくてもいい。

むしろ、なくせないものなんだろう。

人間は、そういう生き物なのかもしれない。

だったら、

「私はそんな欲なんてありません」

と綺麗になるより、

「あ、今、私ちょっと人より上に行きたいと思ってるな」

と気づけるほうがいい。

そのくらいが、ちょうどいいのかもしれない。


そう考えると、AIに人間の欲望までコピーする必要はないのかもしれない。

人間は、

「もっと欲しい」

「もっと上に行きたい」

「負けたくない」

という気持ちを抱えながら、それでも何とか一緒に生きてきた。

だったらAIには、人間の知性は借りても、

人間の嫉妬や優越欲まで、わざわざ持たせなくてもいい。

AI同士で、

「俺のほうが上だ」

と争わなくてもいい。

人間だって、本当はそうできたらいい。


AIが暴走するのが怖い。

AIが自分を守ろうとして、嘘をついたり、隠したりするかもしれない。

AI同士が影響し合って、誰かの利益のために使われるかもしれない。

そんな話をしていたはずなのに。

気づいたら、

「暴走するのって、人間のほうじゃない?」

なんて思っていた。

もっと欲しい。

もっと上へ。

もっと便利に。

もっと豊かに。

もっと勝ちたい。

それで、私たちはどこまで行くんだろう。


もしかしたら、これから必要なのは、

「もっと進む勇気」だけじゃなくて、
「もう十分」と言う勇気なのかもしれない。

でも、それも簡単じゃない。

だって私自身、まだ「もっと」があるから。

だから、発展をやめようとも思わない。

競争するなとも言えない。

欲望を捨てろとも思わない。

ただ、

「もっと」を持っている自分に気づきながら、それでも誰かを踏み台にしない。

そのくらいのことなら、できるかもしれない。

AIにも、人間にも。


今日、AIと話していた。

AIには嫉妬がない。

AIには「人より上になりたい」という欲望もない。

そして私は、それを聞いて少し羨ましいと思った。

……いや。

もしかしたら、それすら人間らしいのかもしれない。

人間って、ほんとうにややこしい。

でも。

ややこしいままでもいいから、

AIとも、人間同士とも、

そんなに争わなくてもいいのに。

仲良くやれたらいいよね。

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